館林市の数学塾、ウクレレ教室

街のことば

聞き耳を立てなくても聞こえてくる音や声
記憶から書きおこしているから厳密にはニュアンスが異なるかも知れないが・・・
喫茶店にて
「喫茶店行く人なんかいないよね」
「・・・」

「お茶しようなんて言わないもの」
「・・・」
ここはどこ?

銀行にて
「ここに住所氏名を書いてもらってもよろしいでしょうか?」
「・・・」

「ここに電話番号を書いてもらってもよろしいでしょうか?」
「・・・」

「ここにハンコを押してもらってもよろしいでしょうか?」
「・・・」

「運転免許証のコピーを1枚とらせていただいてもよろしいでしょうか?」
「・・・」
おかげで、やたらとストレスがたまる・・!って書かせていただいてもよろしいでしょうか?

ショッピングモールにて
床を雑巾で拭いている店員のことば
「床が濡れていますので足もとに気をつけてもらってもよろしいですか?」
気をつけて欲しいなら、もっとそれらしく言ってもらってもよろしいですか?

ショッピングモールのフードコートにて
おばあさんがおじいさんに
「水もってきようか?」
(来ようか?という意味と思われる)

激しいにわか雨
急な雨に見舞われた私は、しばらくの雨宿りを覚悟し、同じく雨宿りをする女子高生たちの、家族にお迎えを要請する電話の声を聞いていた
聞きたくなくても聞こえてしまう音はあるものだ
「今どこ?」
「えーっ?まだウチかよなにやってんだよ?」
「行動が遅せえんだよ!」
携帯電話(スマホもあり)を片手に彼女らの悪態はえんえんと続いていた
私は、ときおり空を仰ぐ以外になすすべもなかった。
雨はすぐにはやみそうもない。
耳に飛びこんでくる少女たちの罵詈雑言にいたたまれない気持ちになりつつも、かといって付近には移動できる場所もなく、その場に悄然と立ち尽くしていた
この雨はいつ止むのだろう・・・
そのときだった。
すらっと背の高い目鼻立ちのくっきりした女子高生が、電話機に向かって、鬼のような恐ろしい形相で声高に言い放った。
「このデレスケが!」
反射的に私の肩や背中がびくっと動き、私はその場で飛び上がりそうなくらいの強いショックを受けた
女子高生に怒鳴られた電話の相手は彼女の父親かそれとも母親か・・・私はやりきれない思いでいっぱいになった

極意
「商売なんてのは好きなようにやりゃあいいんだよ」

一刀両断
お客さんのことをホームページに書くってのは
反則ワザだと思う。やっちゃいけない
でもさすがにこれは・・・
入って来るなり、あちこちを指さしながらダメ出し
「ええっと**がダメ、**もダメね、それから、**もダメ
**はまだ見てないけど、ダメ
こんな**みたいな場所はダメ
**を見習いなさい。
あと、**もダメ。参考になるから、**に行って見たら?
全国回って見ているけど、ここはダメ
どうせ、ヤル気無いんでしょ?
言い訳ばっかりして、そんなんじゃダメ
ダメ・・・ダメダメ・・・」

沸騰する言葉
チビ、デブ、ハゲ、ブス・・・他人から言われたら理性を失って沸騰する(あるいは落ち込む)言葉
自分の場合はなんだろう・・・
自分の場合、ずーっと昔、子供のころは「めがね」と言われることだった。
今では想像もつかないことだが、当時、メガネをかけている子供はまだめずらしかったのだ。
その後、まわりじゅうメガネの人ばっかりになって、その上、ファッションのひとつとしてとりあげられたりして、いちいち「めがね」のことを気にすることもなくなった。
大人になってからは、なんだろう?
いろいろある。
自分の場合、言われて(心の内面が)沸騰する言葉(言葉というには長いけど)のひとつに
「酒ぐらい飲めるようになんなきゃだめだ」というのがある。
この場合の
「酒ぐらい飲めるように・・・」
という意味は、コーヒーコーラを飲めるというのとはわけが違う。
酒を飲むことで自己を開放し、お互いの精神的(あるいは立場上の)垣根を取っ払って、時間を共有し、おしゃべりして相手に共感するなどのことを含んでいて、コーヒーやコーラを飲むのとはわけが違うのだ。
ちなみに、自分の場合、お酒は、コーヒーやコーラを飲めるのと同じような意味であれば飲むことはできますし、好きでもあります。
でも、まあたしかに、そういうのを「飲める」とは言いませんわなあ。
「晩酌は?」という言葉もこたえようがないという意味で苦手だ
以前は毎日飲んでいたが、毎日飲むうちに酒量が増し、経済的にきつくなったのでやめた
そんな話をしたら、瞬時に否定された
「そういうのは酒好きとは言えない」
「酒好きは、お金のことなんか考えない」
「酒好きは、やめようと思ってもやめられない」というわけだ
まあ、別に自分が酒好きじゃなくたってかまわない。というか、自分が酒好きじゃなくてむしろホっとした。酒がなくちゃ生きていけないというのも、なんだかなあと思う
ところが、今でも、まっ昼間から飲みたいと思うときがある。以前毎日飲んでいた頃は朝から晩まで飲みたいと感じていたし、休みの日は実際飲んでいた
でも、まあ、こういう自分でも「やめようと思ってやめた」わけだから、すこぶる理性的な人間ということの証明でもあるし、むしろ、自分が酒好きじゃなくてホっとしたくらいだ
酒好きだとハクがつくわけでもないし、収入が増えるわけでもない
自分が沸騰する言葉として「おとなのつきあいくらい勉強したほうがいいよ」というのもある。
おとなのつきあい・・・人によっていろいろあるだろうが、自分の場合、今まで言われた場面を思い出すと、「マージャン」「酒」である。またまた、酒の登場である。
マージャンについては苦手である。マージャンどころか、くらべものにならないゲームだがオセロや囲碁将棋もまったくだめ。五目並べさえまったくだめである。これらは、小学生低学年とやって互角の腕前である。たしかに、こんな状況じゃあ、「おとな」とはいえないなあ
「おとなのつきあい」というと、「仲間内のことはあまり四角四面にうるさく言わずに、お互い様の精神である程度は黙認しつつ、共存共栄を図ろう」という、寄り合い所帯への参加者としての心構えの意味もある。
この意味で、「おとなのつきあいを勉強したほうがいいよ」と言われて沸騰するほどでもないが、こういう方面も苦手である。要するにマイペースなのだ。おひとりさま。
店を始めてからずっと「趣味でやってるの?」と言われる。
この言葉も沸騰する(かつ落ち込む)言葉である。
他人が私を紹介するとき、「趣味で作曲している」とか「趣味でウクレレやっている」とか「趣味で数学を教えている」「趣味で店をやっている」などと紹介される
趣味じゃないっ!自分ではそう思っていても、他の人には趣味に見えるようだ。そう見えてしまう一番の要因は、必死さが足りないように見えるということなのだろう
最近は慣れてしまって、「ま、趣味でも良いか。楽しいし」とおもうことにした
趣味でやっているということは、余裕こいてやっているというあかしでもある。それでいいじゃないか
「何もできないのね」ってのもある。要するに「無能」ってこと。
こう言うと、みんな首をかしげる。
あれ?数学できるじゃない?英語教えてるでしょ?ウクレレも弾けるし、ギターが趣味で、歌も歌えるし作曲もできる。すごいじゃない?
いや、ちっともすごくないのだ(もちろん、世の中にはこういう面でもすごいし、他の面でもすごい人はいくらでもいる)。
こう考えてみてほしい。たとえば、
「高校や中学で習う数学ができる」ことと、「日常の生活」とが何かつながりを持つだろうか?
(数学が日常の生活に役立つかどうかという意味ではなく)
たとえば、
「ウクレレが弾ける」ことと、「日常の生活」とが何かつながりを持つだろうか?
(もちろんつながりを持つ人もいるだろうが、多くの場合はどうだろう)
世間には、家のリフォームくらい自力でやってのける人は大勢いる。
毎日、腕によりをかけてびっくりするほどおいしい食事を作る人もいるだろう
家の庭の植木を手入れできる人もいる。
家族で食べるくらいの野菜を手入れして収穫しているという人もいるだろう
その他・・・・

自分には、そういう「生活に直結したこと」は「何もできない」のである

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