館林市の数学塾、ウクレレ教室

痔の手術体験記

痔の手術体験記
これは、2004年3月の終わりから2004年4月のはじめにわたっての痔との激闘の記録である
一大決心
痔を手術することにした。
自覚症状後4年間の痔主生活からさよならしたいという一心で決意した。
たかが痔とはいえ、大決心である。
(いや、痔だからこそ、大決心なのかもしれない。場所が場所だけに・・・)
前年の夏頃から痔の状態は悪化していた。
しかし、手術の決心はなかなかできない。
日帰り手術をはじめとして、簡単な手術がないだろうかと、来る日も来る日もインターネットで検索しまくっていた。
簡単な手術には、術後のリスクがあるようだ。
そもそも、簡単な手術では根治とはいえないのかもしれない。
冬、やっぱり、決心できない。
そして、春。
もう、がまんできない。
とうとうやることにした。
というのも、痔が常時突出している状況になったからだ。
気をつけているので、出血はしないが、痔が顔を出しているという違和感は、どうにかしたい。
それに、このまま放っておいたら、ますますクセになって、より多くの部分が外部に出てきてしまうのかもしれない。
今なら、押し込んで戻せば戻る状態だが、このまま放っておくと、それもできなくなるかもしれない。
今でも、下着に痔の粘膜の汚れがつく。これも、気持ちのよいことではない。
この痔の状態では、宿泊を伴う旅行など、環境が変わることでかなり出血することがある。
出血すると、トイレで止血するのに、時間がかかることがあるのだ。
この状態になることが、いちばんこわい。
たとえ出血しなくても、トイレ後の後始末には難儀した。
出てしまった粘膜を指で戻すのである。
これがけっこうむずかしい。
入ったつもりでも、パンツをはくと、するっと出てしまったりする。
まして出血しているとさらにめんどうだ。まず止血しなければならない。
紙で押さえたりして止血するわけだが、なかなかとまらない。
トイレに必要な時間が長くなるばかりである。
必要な処置が終わったら、軟膏を塗るのだが、これもめんどうだ。
トイレ以外でも不便な生活になる。
いすに座るときでも、いちいち気を使う。
まず、両手をイスの座面につき、体を支えるようにしてゆっくりすわる。
周りの人に気づかれないようにスムーズにやらねばならない。
こうしないと、頭を出している粘膜が下着とこすれて出血するのだ。
当時、ぼくは、テーブルのまわりに集まってコーヒーを飲むとき、自分一人だけ立って飲んでいた。
ここまでお読みになれば理由はおわかりでしょう。
出血のことを考えると気楽に座れないのである。
まわりの人たちは何も知らないから「立ってないで座って飲みましょうよ」と言ってくれる。
こっちは座りたくないのに!
それでも立ったまま飲んでいると、怒り出す人まで出てくる。
「そこで立ってると、気になるんだよなあ!」
こんな具合で生活が不便になると、手術以外の選択肢がなくなってくる。
そんなこんなで手術を決意した・・・ことになっている。
ところが、いったん手術を決意すると、痔の状態は安定してしまった。
人生とはうまくいかないものである。
ようやく手術を決断すると、症状が和らぎ、
症状が重くなると、今度は手術が決断できなくなる。
こうなると、決心がゆらぐ。
痔の手術は恥ずかしいし、だいいち、痔は死ぬような病気でもない。
できることなら、回避したい。
といっても、回避したからといって、根本的には、痔が治ったわけではないから、今後も、突出や出血の危険性はなくならない。
インターネットで検索した体験談などによると、女性よりも男性の方が手術をするかどうかで迷うという。
いざとなると、女性の方が決断が早いわけだ。
2004年3月
痔の手術の病院選び
痔の手術は、近所の小さな専門クリニックでやることにした。
大学付属病院など、総合大病院でやると、自分がモルモットにされてしまうとか、見学者がいたりする場合もあるとか、肛門科以外の患者とごっちゃまぜにして診察されるとか、いろいろと恥ずかしさを増幅するような噂を耳にしたり目にしたりしてしまったから、肛門科専門の医院をインターネットと電話帳で必死にさがした。
さいわい、それほど遠くない隣県の某市に、専門のクリニックを見つけた。
通院してみると、きれいで、雰囲気の落ち着いた、いい病院であることがわかった。
患者でわきかえっているような病院だといやだなと思っていたのだが、いつも、待合室には、数人程度の患者がいるだけだった。
ここには、2004年3月に手術を決意するまでに、2年間通院した。
逆に言えば、そこまで、医師は相談に乗ってくれていたというわけだし、2年間手術以外の治療をしても根治するどころではないところまで悪化していたというわけだ。
医師は手術を強制することはなかったのだが、どうにも生活が不便になってきたので、結局、ここでやることにした。
2004年3月
痔の手術の予約
痔の手術は電話予約でも予約することができる。
予約は簡単である。
手術一週間前までに、心電図や胸のレントゲン、血液検査などをして、ほかに病気がないかを調べる。
痔の手術とはいえ、麻酔や鎮痛剤も使うから、手術に耐えられるかどうかを調べるのだろう。
たぶん、問題ないはずなのだが、4000円近くも取られてびっくりする。
2004年3月
痔の手術前日
いよいよ明日が入院で、その日の昼には手術である。
手術を予約して以来、待ちに待った日がやってくる。
今日は、たまっていた仕事を一気におわしたので、てんてこまいだった。
夜は、消化のよいものを食べるようにとの注意があったのに、食後、好きな落花生なんぞを食べてしまった。落花生は腸に残りそうな予感がする。
好きな音楽を聴いて、寝る。
なんか、すぐ寝てしまった。
疲れていたのだろう。
忙しくて、緊張する暇もなかった一日だった。
痔の手術の前日に、遺言を書く人もいるらしいが、さすがに、ぼくは、そこまではいかなかった。
職場には、直接の上司以外には『しばらく休暇を取る』ということにしておいた。
直接の上司だけにはほんとうの事情を説明した。
上司以外の人の誰かに、深いところまで質問されるのではないかと思ったが、意外にも、だれも詮索してこなかった。
みんな、それどころではないのかもしれない。
自分が、周囲の人の話題にならない人物であることを知った一件だった。
2004年3月24日
痔の手術当日
朝がやってきた。
いつもどおり、5時に起きる。
今日がどんな日だったか思い出して、なんか、いやだなーという気持ちがする。
本によると、痔の手術当日、病院の玄関をまたいでから、やっぱり気が変わり、手術を取りやめた人もいるそうだ。
痔の手術というものは、最後の最後まで、迷うものなのである。
ぼくに、そこまでのまよいはないが、やっぱり、いやである。
大手術でもないのに、いやである。
と、いうか、大手術だったら、覚悟を決めるしかないのかもしれない。
痔だから(軽いから)、という勝手な理由で、手術から逃げようとしてしまうのだろう。
しかも、痔という場所が問題である。
手のひらとか、ひざのあたりとか、おでことか、そういうところにあると気楽なのだが・・・
入院は9時である。
時間はまだある。
当日の朝は、食事をとらないから、さらに時間ができた。
でも、結局はこうして、いつもの時間にトイレに入り、パソコンを打っている。
この”トイレでパソコン”生活が痔に非常に悪いのはわかっているが、やめられない。
ついつい、30分も長居してしまう。
いごごちがよいのである。
この、健康に悪い習慣は手術後は改めなければいけないだろう(手術後はやめた)。
さて、今日の手術はどうなるだろうか。
事前の説明によると、手術はベッド上にうつぶせになって行われるという。
最悪の姿勢ではないものの、見られたくない部分を何人の人に見られるのか、これが結局、一番気になる事項だったりする。
2004年3月25日(木曜日)
痔の手術の入院のための荷物
痔の手術で持ってくるものの中に、生理用ナプキンなんてのもあって、”あー、ほんとにあの部分を切るんだ”と実感する。
生理用ナプキン、いろんなものに使える優れものなんだなとも思う。
もちろん、ぼくの今までの人生50年間を通じて初めて使う。
持って行く荷物を選んでいるうちに、CDやら本をいっぱい選んでしまった。
とてもじゃないが、持って行けない量だ。
うーん、いくらなんでも・・・・
思い切って、荷物を減らした。
2004年3月25日(木曜日)
手術の日
9時に入院。
自分としては緊張していないつもりだったが、受付の女性に話しかけるとき、不覚にも声が震えた。
病院の廊下を歩くとき、不覚にも足がふらふらした。
これは、実によくない傾向である。
病棟の構造について説明を受ける。
こじんまりとして、静かで落ち着いた雰囲気でほっとする。
やっぱり、大病院でなくてよかった。
人とすれ違うのが大変なんていう病院で、痔の手術をしたくない。
その後、病室に入る。
部屋は個室。
個室を希望しておいたのだが、本当にとれるかどうかはわからなかった。
個室は追加費用がかかる。有料だ。風呂付きで1日9000円。風呂なしで7000円。風呂なしの個室の場合、風呂は同部屋の他の人と同じ風呂を交代で使う。
有料なのに個室を選んだのには理由がある。
話し相手がいないと退屈するかもしれないが、それ以上に、ひとりでゆっくりできるほうを選んだのだ。
どちらかを選べと言われたら、ぼくの場合は、一人が合うのだ。
部屋は、広くはないものの、自分にとっては十分な広さだ。
洗面所もある。
トイレもある。もちろん、ウォシュレットだ。
トイレはどの部屋にもあるのをあとで知った。
テレビはプリペイドカードを購入して使う。
まあ、ふだんからテレビを見ない人間なので、テレビは不要だ。
2004年3月25日(木曜日)
痔の手術室
手術室は、廊下を隔てて部屋の真ん前だ。
これは、いい。
手術が終わって、すぐ、部屋に入れるわけだ。
って、他の部屋と比べても数秒の違いしかないのだろうが。
手術が終わったら、麻酔で歩けないから、ストレッチャーに乗せられ、タオルケットにくるまれたまま、病室のベッドに持ち込まれるようだ。
手術前の外来検診の時、こんなことまで聞いておいたのだ。
安心するためには、なんでもかんでも疑問に思ったことは質問しておくのが一番だ。
2004年3月25日(木曜日)
痔の手術前に点滴
手術当日は、朝から飲まず食わずである。
したがって、手術前の点滴は、水分補給やら、栄養補給やら、らしい。
今まで生きてきて、点滴をするのは初めてである。
だから、針がうっとうしく思った。
針がささっていることを想像すると、あたまのどっかがむずむずするような感覚がした。
2004年3月25日(木曜日)
痔の手術前にカンチョウ
手術前に浣腸する。
これは、外来の診察室の隣の部屋でやる。
最初にお湯をおしりから入れられる。
次に下剤をおしりに入れる。
体を横向きにし、腰にタオルをかぶせてあるので、抵抗感は少ない。
以前、外来で痔の診察とともに、腸内を内視鏡で調べた。
そのとき、浣腸を経験しているので、余裕だった。
1分もしないうちに、全身にふるえがくるほどの便意がおそってくる。
そばにあるトイレに駆け込む。
なんの抵抗もなく、ドーっと出る。
しかし、今回は、朝から絶食していたためか量は少ない。
前回は、絶食していなかったので、量が多かったし、爽快感がすごかっった。ある種の達成感さえ感じられたのには自分でも驚き。
今回、そこまでの爽快感はなかった。
2004年3月25日(木曜日)
手術室
手術室に入る前に最後のトイレに入り、おしっこをしておく。
これから半日以上もトイレにいけないわけだ。
いよいよ手術室に入る。
入るときは自分で歩いて行く。
この時点では、上半身はTシャツ。その上に手術着を着る。
下半身はクツ下だけ。下着も付けない。手術着で全身をすっぽり覆っているわけだ。
寒かったから、クツ下ははいておいた方がよいと、女性看護師に言われていた。
まず、手術台にあがって腰掛ける。
手術台は、漢字の「人」という形をしている。
またが分かれているところに足を乗せるのだろうなと想像できた。
手術室は、特殊な雰囲気を持った部屋だった。
入ったとたんに、耳と頭と胸に圧迫感を感じた。
医療機器の電磁波のせいだろうか。
それとも、自分の緊張のせいだろうか。
2004年3月25日(木曜日)
痔の手術前の麻酔
麻酔は腰椎麻酔である。
ぼくは、腰椎麻酔自体、初体験である。
まず、漢字の「人」の形をした手術台に腰掛ける。
そのまま、背中を2回消毒綿で拭かれる。
非常に冷たいので、びくっとする。
医師が腰のあたりを指で探る。
つぎに、麻酔を打たれる。
動かないでくださいねと言われる。
ちくっとする感触がある。
もう終わったのかと思ったが、まだ終わっていなかった。
何秒間だろうか、ずいぶん長く感じられた。
麻酔がうまくいくことが、手術の成功を左右する。
2004年3月25日(木曜日)
痔の手術
麻酔が効いてきて、いよいよ手術である。
漢字で「人」の字の形をした手術台に、うつぶせにおおいかぶさるように乗る。
この「うつぶせ」というのも手術する病院を選ぶ上で重要なチェックポイントだ。
あおむけで手術するのは恥ずかしい。
さて、足は開いた状態。手はバンザイの状態だ。
「人」の字の下のふたまたにわかれた部分に足が乗っていると思えばわかりやすい。
麻酔が効いていて、下半身が動かない。
看護婦さんたちが体を引っ張って、場所を調整する。
おしりのあたりに、タオルか何かをかぶせられる感触があった。
左手の親指に脈拍のセンサーが取り付けられ、規則的なピッピッという音を立て始める。
右手の腕には血圧計が巻かれる。一定時間ごとに自動的に空気が入り、血圧が測定されるようだ。
予告もなく、腕を圧迫されるのでびくっとする。
何かが、またの間に差し込まれたような気がするが、麻酔のためか、感覚が鈍く、はっきりしない。
剃毛が始まる。手際よい。肛門の周りだけを剃っているようだ。
手術が始まり、切っているような感覚があるが、麻酔のため、鈍い感覚しかない。
肉が揺れるような感覚は感じ取れるので、どうやら切っているらしいというのがわかる。
ときどき、またの間をぐっぐっと押さえつけられる感覚がある。
やはり、器具のようなもので押さえつけているのだろうか?
それとも、肛門を開くような器具でも使っているのか?
器具のようなものかどうかはわからないのだが、看護婦さんが足の別の場所をおさえていることはよくわかる。
人の肌が触れている感覚はわかるのだ。
微妙に動いていたり、こすれたりするからだ。
ぼうっとしていると、横にいる看護婦さんが話しかけてきてくれた。
話題もないのに話しかけるのは大変だろうなとも思った。
手術中、看護婦さんは3人か、4人いた。
いることが確実にわかったのは、3人。
もう一人は、後ろを向いたままでほとんど動きがなく、よく、確認できなかった。
一度、血圧計に空気を入れるパイプがしゅーっと音を立ててはずれた。
これにはびっくりした。
看護婦さんと話をしていると、手術している医師も、ときどき話に割り込んできた。
なんと、いままでに3000人も痔の手術をしてきたという。
中には、他の病院で4回も手術をして、ここへ来た人もいるという。
痔の手術5回目!
かんべんしてくれよ、いやだなあと思う。
何分たっただろうか、電動歯ブラシを使っているような音と、焼き肉屋の前を通ったようなにおいがした。なんだろう?
そうこうしているうちに手術も終わった。
手術後の説明で、2個痔核を切りとり、1個しばり、1個電気で焼いたという。
そのにおいだったのだ。
血だらけのガーゼがちらっと見えた。ちょっとショックである。
と、いっても、出血量は70CCくらいだとか言っていた。
とった痔核を見せてもらった。
あまり大きくない。
体についていた頃は、血液の固まりになっていたから大きかったのだという。
今は、しぼんでしまって、栄養失調のアサリか、小さめのカキか、という感じだ。
貝のカキである。
下半身が動かない。
そのまま、ストレッチャーに乗せられ、病室まで移動、ベッドの上にごろんとのせられた。
病室に入ったときは、つい、「楽勝だったぁ」と言ってしまった。
手術室に入ったのがお昼の12時ちょっと前。
自分の感覚としては10分くらいの手術だったが、時計を見ると、1時になっていた。
なんだ、1時間もたっていたのか?
事前の説明では手術時間は30~40分ということだったのだが・・・
4つも痔核を切ったり処置するのに時間がかかったということだろう。
2004年3月25日(木曜日)
痔の手術直後
痔の手術終了は午後1時。
ほぼ、1時間の手術時間だった。
終わって、ストレッチャーに乗せられて廊下を移動し、病室のベッドに寝かされた。
麻酔で下半身が使えないから、自分では何もできない。
運んでもらった。
ストレッチャーに乗せられて移動すると、天井がぐるぐる動いて、目が回るような気がした。
3人でよっこらしょと、ストレッチャーからベッドに移された。
ベッドの中で足に力を入れようとしても、力は入らない。
意志に反して、びくともしない。
と、いうか、あまりに足に力が入らないので、どうやって力を入れたらよいのか途方に暮れたりした。
下半身からは、たよりない感覚しか戻ってこないのだ。
上半身は自由なので、手で腰のあたりやふともとのあたりをさわってみると、じーんとしびれているのがわかった。
麻酔は、かなり効いているようだ。
このまま麻酔が切れなかったら大変だなあなどと、ぼんやりとした感想を持ってしまった。
麻酔が効いているので、手術したところは痛みを感じなかったが、なんだか、その部分がまわりよりも重い感じがした。
2004年3月25日(木曜日)
痔の手術の夜
手術後、点滴を1回、変えた。
抗生物質と、血が止まりやすくする薬が入っているという。
点滴の針は、数日間刺したままになる。
そのことを思うと、頭のすみに、チクっという感覚が起こった。
夜までに何度か看護婦さんがやってきて検温や、脈拍のカウントや、手術した部分のチェックをしていた。
T字帯といって、紙製のふんどし型の下着をつけていたが、これがずれてしまって、具合が悪い。ガーゼがどっかにずれてしまうし、T字帯自体がずれてしまって、下着の役目を果たしていない。
もうすこし使いやすい手術着が開発されることを望む。
手術後数時間たつと、足が動くようになった。
とても重いが、なんとか動く。
夜の6時頃、看護婦さんが、お茶を持ってきてくれた。
といっても、のどがかわいているわけでもなかった。
手術時に、麻酔が効きやすくなる薬を腕に注射されたが、その薬の作用でのどがかわくらしいが、薬でのどがかわく場合は、水分をとってものどの乾きは消えないのでは?
手術後8時間を経過した、夜の8時半、看護婦さんがやってくる。
いよいよ起きあがっておしっこにトイレに行くのだ。
立ち上がってみようとしたが、ふらふらである。
ずっと同じ姿勢で寝ていたためか腰もいたい。
個室の場合、トイレは室内にある。
壁に手を当てて移動し、やっとトイレにたどりついたが、何も出ない。
男の人は、手術後の尿が出にくいそうだ。
だいいち、尿を出そうとしても、その部分にどうしてもチカラが入らない。
なんか違和感があり、どうやってちからを入れたらいいのかさえわからなくなったかのような錯覚をおぼえた。
このまま一生尿が出ない体になったらどうしよう?と思ったが、まあ、今は仕方ない。
ベッドに戻り、また寝ころんだ。
麻酔が完全に切れるのを待とう。
2004年3月25日(木曜日)
手術後の夜の夢
手術当日の夜は長かった。
夜になり、医師が、痛み止めの座薬を入れてくれた。
座薬を入れるとき、チクっという痛みを感じた。
夜の11時頃に、もう一度座薬を入れるという。
が、10時頃には眠たくなって、うとうとしてしまった。
11時ごろだったろうか、医師と看護婦さんが入ってきて、2個目の座薬を入れてくれた。
痛み止めである。
医師と看護婦さんは、この日から毎朝、毎晩、1日に何度も、容態を気遣ってくれ、声をかけてくれた。
医療従事者としてはあたりまえのことだろうが、こういうことも、大病院では不可能だろう。
のんびりした個人病院だから可能なのではないか。
ふだん、あんまり、他人に声をかけられるのは好きではないのだが、入院していると、声をかけられなかったら、見捨てられたような気持ちになっただろう。
痛みの感じ方というか、耐えられる痛みの許容度は、人によりそれぞれだと思う。
ぼくは、どっちかというと我慢してしまう方だ。
だから、我慢できそうなのに、座薬を入れることにちょっと心理的な抵抗を感じた。
しかも、夜、痛くなったら飲むようにと、痛み止めの錠剤を15個おいていってくれた。
うーん、そんなに痛いのだろうか?
きっと、人によっては、わあわあさわぐのかもしれない、と思った。
別の看護婦さんが入ってきたとき、「痛いって、どんなふうに痛いんですか?」と聞いてしまった。
手術直後の人間がする質問にしては、とぼけた質問である。
「じわーっというか、熱いような感じ」と教えてくれました。
11時頃、看護婦さんがアメをいくつか持ってきてくれた。
今日は1日中絶食だったし、水もほとんど飲んでいなかったので、ありがたかった。
11時に消灯になり、ぼくはすぐ寝てしまった。
しかし、眠りは浅かったようだ。
2,3回目が覚めた。
トイレに立つと、めでたく排尿できた。
しかし、力がじょうずに入れられないので、たれるというか、トロトロっという感じであった。尿を切ろうとすると、ちからがはいったが、同時におしりにズキーンという痛みが走った。
夜、肛門を針でひっかかれるような感覚を感じた。夢である。
肛門から、なにか、なまあたたかいものが、ジワーっと流れるような感覚を2回感じた。これも夢である。
翌朝、下着とガーゼを調べてみたが、何かが流れたようなあとは見られなかった。
2004年3月25日(木曜日)
痔の手術翌日
手術の翌朝は、3時頃から目が覚めてしまった。
もう一度寝て、5時頃、起き出した。
まだ、体がふらふらする。体全体が重い感じだ。
ベッドから降りようと、体をずらそうとして力を入れると、おしりがズッキーンとする。
これがこわくて、しばらくは、体をずらすのに、細心の注意をはらったものだ。
さすがに、じわーっと痛みを感じるので、痛み止めの錠剤を飲む。
まず、顔を洗う。
といっても、洗面所にタオルをひたし、それで顔を拭いた。
かなり、汗をかいたようだ。
洗面所はお湯も出るが、しばらくのあいだ蛇口を開いておかないとお湯にならないのが欠点である。
7時30分頃だったろうか?食事が運ばれてきた。
パンと、野菜、果物である。
食事をとれることに、とてもありがたい気持ちを感じた。
朝、医師がやってきて様子をたずねる。
なんとこたえたらよいか?
はじめてであるから、様子といっても、比べる基準がない。
たぶん、順調なのだろう。
午前、午後、1回ずつ点滴をした。
血がとまりやすくなる薬と、抗生物質が入っているらしい。
ぼーっとしていると、昼になり、昼食が運ばれてきた。
けっこう、いろいろとおかずが入っている。
ご飯を残したが、ほかは食べてしまった。
最初の便がいつ出るか、量はどれくらいか、心配になった。
医師の診察が一回あり、看護婦さんによる検温、脈拍、傷のチェックがあった。
夜の食事は昼よりもさらに豪華だった。
家では、こんな食事はほとんどない。
これにビールでもつけたら、ずごいと思った。
けっきょく、ご飯は少し残したが、おかずは全部食べた。
おいしかったのだ。
今日は、手術着は脱ぎ、パジャマに着替えた。
生理用ナプキンを使い、そこにガーゼをあてて、出血を受け止める。
ガーゼは何回か取り替えたが、いつも血だらけだった。
今日、痛み止めは3錠飲んだ。
がまんすればできないこともないが、がまんしないで薬を飲んでくださいと、看護婦さんが言っていたので気楽に飲んだ。
薬を飲むと、ほとんど痛みを感じなかった。
ただ、力を入れると痛い。
あと、くしゃみをすると、ズッキーンとひびく。
くしゃみが一番怖かった。
ぼくは、花粉症なのだ。
手術翌日からは9時消灯だ。
病室のTVを見たり、持ってきたラジオを聞いたりしたが、暇だった。
そのうち、この「暇」にも慣れてくるのだが、最初のウチは「暇」にイライラを感じたりもした。
まだ歩き回るのは、トイレなど、必要最低限にするようにと言われていた。
起きて動き回ると、麻酔の関係で頭痛が起こったりするからだそうだ。
麻酔後はアタマを高い位置にしてはいけないということだ。
消灯後、病棟にそなえつけの書架からマンガの本を取りに行った。
ほんの十数メートルだが、行ってかえってこれたときは、宇宙遊泳からロケットに帰還したかのような気持ちさえ持った。
なさけないものである。
2004年3月26日(金曜日)
初めての排便
手術後2日目の朝が来た。
この日は午前3時頃から目が覚めてしまった。
もう一度寝る。
6時頃目が覚め、顔を洗う。
7時30頃、朝食。
今日もパン食だ。
だが、昨日よりおかずの種類と量が増えている。
スクランブルエッグやウインナーソーセージなども入っていた。
ぼくは、どちらかというと、和食の方がうれしかったのだが。
朝食をとり、歯を磨く。
次は、手術後初めての排便に挑戦だ。
トイレに入り、便器に座る。
出そうな気はする。
ちょっと力を入れてみる。
やっぱり痛い。
スカーっと、ガスが出た。
もう一度力を入れてみる。
かなり痛い。
ビリっと小さな音とともに、ガスが出た。
出たのはガスだけである。
痛みが怖くて、本格的にちからを入れることができない。
まさか、トロトロっと重力だけで出てくるわけでもないだろう。
しかし、肛門部分にちからを入れるのがこわい。
結局、この日は、何回か便座に座ったものの、出なかった。
痛みのことを思うと、だめなのだ。
お昼前に外来で診察。
土曜日は午後が休診なので、昼前が診察時間になるようだ。
傷の治り具合は順調らしい。順調でないとこまるが。
昼食は、昨日と同じような傾向だったが、内容は結構変わっていた。
排便できなかったことを言うと、医師は、「まあ、ふつうは明日ですよ」という。
昨日の話では、今日あたりから出ると言っていたのだが・・・・
「気にしないでください。そのうち出ますから」ということだ。
まあ、そうだろうなと、安心する。
夕食も、かなり豪華だったが、1日目の方が豪華だったかもしれない。
毎日、海草や山菜、などが入っている。
野菜もけっこう入っている。
ハンバーグと焼き魚がいっしょになっていたりする。
風呂に入っていないので、頭がかゆくてがまんできない。
洗面所で、タオルを湯に浸して、頭皮をふいた。奥までは無理だが。
よけいかゆくなってしまった。
明日は、風呂に入れるとのこと。楽しみだ。
手術後2日目、つまり、入院して3日目になると、入院生活にも慣れ、退屈でもなくなった。
なんと、暇な時間を楽しめるようになってきたのだ。
病院から一歩でも出ると、忙しい生活になるのだろうなとは思うが、病院内は、いたって暇である。
ゆっくりと、本を読んだりラジオを聞いたりしていても、いらいらしないようになった。
のんびりした時間を受け入れられるようになったのである。
これは、自分にとって、大きな変化なのかもしれない。
2004年3月27日(土曜日)
痔の手術後3日目。排便成功
手術後3日目、つまり入院して4日目である。
朝、窓を開けると、とてもよい天気だった。
昨夜の消灯の夜9時以降、この窓から脱出して、近所の本屋さんにでも行こうかなと思った。
やればできそうだ。
だが、塀を乗り越えるとき、足を開くし、力もかかるから、おしりが痛そうな気がする。
あの塀を乗り越えるのは、今の状態では、とてもできないだろう。
自信はない。
病棟内にいると、平穏だが、外は車が忙しく行き交っている。
まったくの別世界である。
あっちの世界が懐かしいような気がしてしまう。
わずか4日しかたっていないのに。
今日も6時頃目が覚め、顔を洗う。
朝の排便にそなえ、痛み止めを飲んでおくことにした。
痛みが怖くて、昨日、排便できなかったからだ。
痛み止めが効けば、多少は楽になるだろう。
7時30頃、朝食。
今日もパン食だ。
朝はパン食と決まっているんだろう。
歯を磨く前に、排便にチャレンジだ。
大切なことから処理していった方がよいだろう。
トイレに入り、便器に座る。
出そうな気がしてくる。
ちょっと力を入れてみる。
ぐわ、痛い。ガスだけ出た。
今日もダメなのか。
もう一度力を入れてみる。
痛い。
しかし、出そうだ。
さらにちからを入れる。
ものすごく痛い。
ハァハァハァ。
息が荒くなり、体から汗が吹き出そうなほど痛い。
やっと、細い便がちょろっと出た。
ハァハァハァ。ものすごーく痛い。
ちからの入れ方もわかってきたような気がする。
まだ、出そうなので、もう一度ちからをこめる。
ぐーっとこめる。
痛い。
がまんして力を込める。
痛い。出そうだが、息が荒くなるほど、つらい。
すると、なんとか、細いが、大きめの便が出た。
すでに息も絶え絶えである。
トイレ内でぜいぜいと息をする。
体中の汗腺から汗が噴き出ている。
もう、これだけで、一日のエネルギーを使い果たしたのではと思えるほどつらかった。
この日は、風呂にも入った。
しかし、頭は洗えなかった。
頭を洗うと、頭痛がする人もいるので、頭を洗うのは明日からだという。
これはがっかり。もう、あたまがかゆくて。
おしりは痛いし、あたまはかゆいし。つらいなあ。
でも、お風呂は気持ちよかった。
最高だった。
お風呂のあと昼食をとった。
エビやなすの天ぷらも入っていた。
うーん、けっこうカロリー高いな。
昼食後、ラウンジによって、テレビのプリペイドカードを買った。
1000円で10時間ちょっと見ることができる。
ラウンジにもテレビがある。
これは、みんなで共同で見るテレビだ。
テレビを置いている台にノートがある。
手に取ってみると、過去に、この病院に入院した人たちが書いていったノートらしい。
読むと、みんな結構、痔で苦しんでいたが、思い切って手術して喜んでいるようだった。
みんな、それほど痛くないと書いていた。
また、手術後の生活が改善されて喜んでいるふうでもあった。
午後診察があった。
日曜日なのに診察する。
これじゃあ、お医者さん、一年中、どこにもいけないじゃあないか。大変だなあ。
と、おもいつつ、毎日、こうやって入院患者の診察をしてくれることがとてもありがたかった。
診察そのものはすぐにおわってしまうのだが。
ぼくは個室に入っているので気づかなかったのだが、診察時に、何人か他の入院患者とすれ違った。
みんなあの手術したんだ、と思うと親近感がわいた。
夕食は、ミニたいやきなんてのが入っていてびっくりした。
でも、ぼくは、やっぱり、ふつうの食事がいいな。
ゼリーはいらない。ほんとうは、ハンバーグもいらない。
でも、煮魚と焼き魚の両方が入っていたのでうれしい。
夕食後、おなかが出っ張ってきたことを確認した。
これはまずい。入院して、太ってしまうぞ。
夕食後もトイレに入った。
便が少し出た。
しかし、かなり、いたい。
便が出るときは必死の覚悟が必要だ。
痛みを怖がっていると、便が出なくなり、便が固くなってしまう。そうなると、あとがこわい。
便が硬いと、ますます、排便がいたくなるだろうから。
2004年3月28日(日曜日)
手術後4日目
今日は3月29日の月曜日、手術後4日目、つまり入院してから5日目である。
考えてみると、もう5日もたってしまったのだ。
のんびりした感想になってしまうが、はやいものである。
朝6時ちょっと前に起床。
ガーゼを取り替える。
出血の量がちょっと増えているようだ。
ガーゼを取り替えるとおならがプシューと出た。
ちょっと気になって、トイレに入ってみたが、いきむとやっぱり痛くて、本格的にいきむことができない。なさけないことに、イタミがこわいのだ。
今日も、排便の痛みへの恐怖がよみがえってくる。
さっそく痛み止めを飲むことにした。
今飲めば、朝食後には痛み止めが効くはずだ。
この恐怖は、いつまで、続くのだろう。
ガーゼを見ると、さっきとりかえたばかりなのに、かなり赤くなっていた。
おならをするときに、出血しているようだ。
いや、直腸内で出血したから、血がたまったことにより、おならをしたくなったのかもしれない。
9時過ぎから点滴が始まった。
この点滴も、今日と明日で終わりである。
慣れたものだ、点滴なんかラクラクと、たかをくくっていたら、とんでもないことだった。
点滴の針を刺していた部分が急にいたくなり、見ると、ぷっくりふくらんでいる。
ずきずきして非常にいたい。
すぐに看護婦さんを呼び、左手から右手にやりなおしてもらった。
一安心である。
安心したのもつかの間、ちょっと手を動かしたら、今度は右手の針を刺した部分が痛みを持ち、ふくらんでくる。
まいったなあ。
電話機を使って看護婦さんを呼ぶ声が、ついつい、なきそうな声になってしまった。
右手の別の場所に移し替えてもらう。
できるだけ動かないようにとのことだ。つらいなあ。
仕方がないので、今度ばかりは静かにしていることにした。
絶対に動かないことにする。
昨日までの点滴の針は柔らかい針で、多少手を動かしてもだいじょうぶだが、今日の針は固い針らしく、ちょっとうごかしただけで血管を突き抜けて、筋肉部分に点滴の液が入ってしまうらしい。
考えただけでいたそうだが、実際に自分の腕がぷっくりふくらんでいるのを見るとなさけなかった。
明日も点滴があることを思うと、憂鬱になる。
昼食はきっかり12時だった。
ウナギの蒲焼きなんかが入っていて、工夫しているなあと思った。
串カツも入っている。高カロリーと言えるだろう。
昼食は市内の給食センターが作っているやつらしい。
ゆっくり楽しもうとしても10分もあれば食べ終わってしまう。
昼食のおぼんを下げに廊下に出ると、手術室からピッピという規則的な音が漏れてきた。
今日も手術をやっているのだろうか。
この医院では、9時から12時までが外来で、12時から3時までは外来はない。
この間に、手術患者がいる場合は、手術をすることになる。
手術日は、月、火、木、金の4日である。
だから、年間50週として、最大で200人が手術可能だ。
もちろん、1日に2件手術することもあるだろうが、逆に手術日に毎日手術が入るとも限らない。きっと、多くても、年間100件から200件のあいだなのだろうと計算できる。
この病院の開院が平成10年だから、現在まで6年。年間100件として今までに600件、年間200件とすると1200件の手術をこなしたことになる。
先生は3000件はやっているというから、ここにくる前の経験が豊富ということになる。
手術する人がいると、職員の昼食は手術後ということになる。
手術後に昼食というのも、食欲のわかない話だなーとは思うが、昼食後に手術というのも、なんか、集中力がとぎれそうな感じがする。
満腹では、プロの仕事はできないかもしれないし。
午後は何もすることがない。
ぼーっとしているのもナンである。
病室でジーっとしている毎日だから、体力も衰えただろう。
ちょっと、スクワットでもやってみるかと思い立ち、30分ばかりやってみた。
その後、トイレに入って確認すると、見事に出血していた。
まだまだ安静が必要のようだ。甘く見てはいけない。
それからあとは何もすることがない。
入浴することにした。午後2時30頃である。
入浴の時、下着を確認すると、けっこう血が付いていた。
いつもより出血が多いようだ。室内で動いたからだろうか。
入浴中、肛門のあたりを洗ったとき、なんとなく、傷の周りがふくらんでいるような気がした。
まさか、取ったばかりなのに、また、痔が出てきちゃったのだろうか。
数日で出てきちゃったとすると、大変だ。
ちょっと不安になる。あの突出の不快感を思い出すと、ほんとに不安になるのだ。
3時からの診察の時、傷の周りがふくらんでいるようだと訴えると、医師は、いつもと違ったきびしい表情になった。
取った痔のまわりの正常な部分が腫れているのだということだった。
傷の部分を便が通過することなどにより、正常な部分が腫れてくるのだという。
2週間もすれば、しわしわになってくるという。
そういえば、その部分は、ふっくらとわずかにふくらんでいるほか、とてもすべすべしている。
自分のからだに、こんなにもやわらかくふくらんでいて、すべすべした部分は、ほかにはない。
今日の昼は3月としてはあたたかかった。
21~23度くらいになったようだ。
あたたかいので、窓を開け放っておいた。
しばらくぶりに、外気を思い切り吸い込んだ。
外では、看護婦さんが草花や植木の世話をしていた。
夕食は6時だった。
夕食も、近くの給食センターからとっているという。
特別メニューで作ってもらっているとのこと。
ひょっとすると夕食は病院で作っているのかとも思ったのだが、そんな暇も人の余裕もないだろう。
今夜のメニューも高カロリーだ。
とくに、厚切りのメンチが1枚入っているのが高カロリーだと思う。
そのほかに、ホイコーローも入っている。
そのかわり、野菜もけっこう使われているし、品数が多いので飽きないようになっている。
これでいくらぐらいなのだろうか。
夜、家族が来てくれて、雑誌と新聞と小さなスピーカーを置いていってくれた。
CDプレーヤーと何枚かのCDは持ってきておいたのだが、ヘッドフォンは聴きづらいし、個室なのだから多少は音を出しても迷惑にならない。
スピーカーのおかげで夜は退屈しなかった。
夜8時30分に看護婦さんが様子を聞きに来る。
毎日、朝から夜まで大変だなと思う。
でも、こういった、なんのことはない気配りが大切だとも思う。
9時30分にナースステーションの方をのぞいたら、まだ、明かりがついていて、話し声が聞こえた。
みんな、朝から晩まで大変だ。
おかげで、おしりのぐあいも、順調らしく、今までで一番いたくない夜だった。
2004年3月29日(月)
手術後5日目
今日は3月30日の火曜日、手術後5日目、つまり入院してから6日目である。
退屈とか、ひま、とか、そういう状況にはすっかり慣れた。
窓からちょっと顔を出して外を見ると、忙しく車が行き交っている。
一瞬、”あの世界に戻るのか”という感覚。
入院生活に慣れてしまって、気持ち的にもどれないかも。
こんな状況になってしまって、社会復帰できるのだろうか。
今日も、朝6時ちょっと前に起床。
トイレでガーゼを取り替える。
ガーゼにも生理用ナプキンにもかなり血が付いていた。
鮮明な赤ではなく、うっすらとした赤が、広い面積にわたってついていた。
手術直後は、麻酔で寝返りなどはできなかったし、動きも自由ではなかった。
麻酔が切れても、肛門が痛いので、自然と動きには気をつかっていて、大きな動きはさけていた。
ここのところ、痛みが小さくなってきたためか、だんだん寝返りが大きくなってきたし、昼間も自由に動けるようになってきたので、表面の血が、ガーゼや生理用ナプキンのあちこちに付着するのだろう。
この病院での痔核根治術では、傷は縫合しない。
血管の元の部分は縫合するようだが、傷の大部分は開いたままだ。
だから、傷は自然な形でなおる。排便で便が通過すると、傷が便になじんだ自然な形でなおっていく。そのかわり、なおりは遅くなるだろう。細菌に感染する危険性もある。
縫ってしまうと、なおるのは早いかもしれないが、細菌と一緒に縫ってしまうかもしれないし、傷が自然な形でなおらない。排便に支障が出たり違和感を感じるようになるかもしれない。
一長一短があるわけだ。
傷が開いた状態だから、痛みや出血は長引く。
とくに、トイレタイムはつらい。
傷口を便が通過するのである。
考えただけでも痛そうだし、細菌感染しそうである。
この日記を書いていたら、くしゃみが出た。
以前よりいたくはないが、それでも、かなりいたい。
裂けるような痛みとでも言えばよいか。
花粉症の人はくしゃみをしない対策を考えておくべきだろう。
7時30分頃に朝食が運ばれてきた。
パン食である。いつもと変わらない内容だが、昨日から、2つあったロールパンが1つになり、ロールパン1つの代わりに、8分の1くらいに切った食パンが2枚に変わっていた。
朝食後はトイレにこもった。
ここ数日、毎朝のことだが、いきむのがこわく、最初は、どのくらいちからをいれたらよいか感覚が思いだせず、試してみるが、結局は思い切って力を入れないと出ない。
思い切ってイキむのがコツなのだ。
ぐっと力を入れるのだが、とてもこわい。
しかし、便が肛門を通過すると、ものすごくすっきりした開放感を感じる。
思わず、『ぷはーっ』と歓喜の声をあげてしまいたくなる。
そのままずっと便を出し続けることはできない。
いつかは、切らないといけない。
この、出終わって切るとき、肛門が収縮するときが、ものすごく痛い。
飛び上がるほど痛い。
実際、今日は、トイレの中で”あーっ”と叫び声を上げ、便座の上で飛び上がってしまった。
肛門から脳天まで、一気につきあげてくるような痛さである。
歓喜から苦悶へ、落差の振れ幅は極大である。
ただ、痛いのは、最初の便が一番痛くて、次の便からは、痛さの程度がわかるので、気持ちの準備もできるのか、それほどの痛みには感じなくなる。
その後は、肛門に力を入れても、あまり痛く思わなくなる。
つまり、一日の最初の痛みが問題なのだ。
いったん、痛みを感じてしまえば、なんとかやりすごせるが、最初の痛みを耐えて、痛みの感覚を思い出すのがつらいということになる。
9時ちょっと前から点滴。
化膿止めである。
最後の点滴だ。
今日も針は固い針だから、腕を動かさないようにしないといけない。
少しくらいなら大丈夫と思っていると、針が血管をつきぬけて点滴が漏れ、腕が腫れてしまう。そうなると、とても痛いので避けなければいけない。
点滴にも慣れたが、今日が最後である。
大切なことは慣れる頃に終わるっていうのが、法則なのだろうか。よくある。
点滴には、いくつか、チェックポイントがある。
まず、点滴をしてもある程度は腕を動かせるかどうか確認しておこう。
動かない方がよい場合は、できるだけ動かないようにする。
点滴を甘く見ると痛い目にあう。
点滴をすると体温が下がるので、布団が掛けられるようにしておくこと。
エアコンをつけている場合は、リモコンを操作しやすい場所に置いておく。
点滴をするとおしっこをしたくなるので、点滴前にトイレに行ってしておく。
点滴が始まると、自由に動けなくなるので、事前の準備が必要だ。
10時過ぎに無事点滴が終わる。
腕がだるい。
点滴もけっこう負担になっているようだ。
点滴をはずしに来た看護婦さんに、退院の条件を聞いた。
傷の状態がよいこと。
太い便がスムーズに出ること。
排便時も出血がないこと。
などが条件だと言うことだった。
看護婦さんによると、今日、退院する人がいるという。
23日に入院した人だそうだ。入院後8日目の退院だ。
ぼくは25日に入院だから、2日前の入院である。
手術後に渡された入院診療計画書によると、7日から10日で退院と書いてあったから、8日で退院というのは、けっこう早いのでは?
8日で退院とすると、25日に入院したぼくは、単純に計算して、うまくいけば、4月1日に退院ということになる。
でも、まだ、けっこう出血しているから、退院は遅れるかもしれない、と思った。
10時40分頃から入浴。
入浴後は、お湯を抜き、浴槽を洗っておく。
湯がもったいないような気もするが、入浴中に出血しているかもしれず、清潔を保つためである。
風呂場の浴槽は2つあり、二人まで入れるようになっている。
一回ごとにお湯を抜くので、浴槽は小さい。人ひとりが縮こまって入れる程度の大きさである。
入浴で、今日自分がやることはほとんど終わった。
昨夜、テレビをつけたら、退職後、海外に移住して第2の人生を生きている人たちの特集番組をやっていた。
広大な敷地に広々とした家。
家事はメイドを雇っているので、自分ではしない。
24時間、自分のやりたいことだけをやりつづけることができる。うらやましいと言えるのか、何か間違っているのか。
別世界のことだとしか思えないというのが、正直な感想だ。
入院していると、仕事も、もちろん、家事もない。治療も任せっきりだから、ほんとうに何もない。
食事と、風呂と、排便と、睡眠が重要な日課だ。
うーん、もっとも基本的な生き方をしているということになるのだが・・・
12時に昼食。
まったく、毎日、同じスケジュールで健康的だ。自宅ではあり得ないことなので、うれしい。
今日は大好きなギョウザが入っていた。
しなびたギョウザが二つだったが、それでもうれしい。
コロッケはソースびしょびしょで、ぼくにとっては、ちょっとつらかった。
退院したら、中華が食べたいような気がする。
寝ころんでテレビ見ていると、食に関する番組が多く、自然と、退院したら、この店に行きたいななどと計画を立てだしたりしていた。
この病院では手術は12時から始まる。
つまり、病棟の入院患者が昼食を始めると同時に、手術が始まるわけだ。
きのうも1件手術があったそうだが、今日も手術があるようだ。
退院する人がいれば、入院する人もいる。経営の観点から見ると、回転率がよいことになる。
ラジオをつけていると、ときどき大きなノイズが入ったが、これは、手術室の医療器具が発する電磁波によるものだろうか。
これから手術か、大変だなあ。なんか、へんな感想である。
いつやろうが、手術の大変さは同じであるはずだ。
これからやる人が特別大変なわけではない。
自分はもう終わってしまったから、経験者として、そんな感想を持てるのだろう。
痔を甘く見てはいけない。生死をかけるような大手術というわけではないが、手術は手術である。やっぱり、大変である。
午後4時過ぎに医師の診察があった。
肛門が腫れているようなので、そのことを言うと、数日で腫れは引くだろうということだった。
自分にとっては、昨日よりも腫れているような気がするのが心配だ。
医師によると、今が一番腫れているときだから、だいじょうぶということだった。
あと、排便が傷の治りにとても重要だということがわかった。
傷が治るとき、肛門が狭くなる形で治ってしまうことがあるという。
その場合は、狭くなった肛門を広げる処置をとるという。
なんだか、聞いただけで痛さが想像できる、恐ろしい処置である。
肛門が狭くならないようにするには、自然な便通が必要とのことだった。
自分の場合は、まだまだこわくて、いきむときもあまりちからが入れられない。
このままいくと、肛門が狭くなってしまわないだろうか。
退院後は、2,3日安静にするのがベターらしい。
もちろん、とくに問題なければ仕事に復帰するのは可能らしい。
退院後も、1週間に1回は通院が必要らしい。
予後も大変だ。
医師は、ちょっとした質問にも表情をほとんど変えずに答えてくれる。
これが、こっちとしてはうれしい。安心できるのだ。
今日の夕食はいつもより少なめだった。
ムツだろうか、魚がうまかった。
あいかわらず、海草や、野菜の茎の部分が入っているのは、食物繊維をとらせるためだろう。
夕食後、下はらが重くなってきたので、トイレにチャレンジしてみる。
なにしろ、排便が正常に行えることが、よく治ることの第一条件なのであるから。
でも、痛いことには変わりない。
最初、いきばると、ブバっという音が立った。
便器内をのぞくと、血が飛び散っていた。いやなもんである。
傷の付近に固まっていた血が飛んだのだろう。
ぐっといきばると、かりんとうみたいな便がちょろっと出た。
手をゆるめずいきむと、本体が出た。かなり成功の部類だと思う。
肛門を収縮させてしまうと、あまりの痛みに、次が出にくくなってしまうので、さらにちからをゆるめずに、いきむと、追加の便が出た。これは、けっこう大物だった。
冷や汗が全身から出て、息づかいがハアハアと、荒くなっていた。
このへんで終わりにするかと思って、肛門を収縮させると、ものすごい痛みが脳天まで突き抜けた。
『うわおおっ』
思わず声を出してうめいてしまった。
個室とはいえ、ホテルなどとは違って、音は廊下までつつぬけだから、人がいたら聞こえてしまっただろう。
夜9時消灯。
その後10時30頃までテレビやらコンピュータやらで時間を過ごし、寝た。
2004年3月30日(火)
手術後6日目
今日は3月31日の水曜日、手術後6日目、つまり入院してから7日目である。
この病院の痔核根治術では、傷は縫合しない。
縫合せず、自然な治癒をめざすので、入院期間は長めになるようだ。
朝は5時30に起きた。
室内で、軽く運動する。
1週間入院しているとかなり体力が落ちているだろう。
窓の外を見ると、今日もよい天気のようだ。
お花見には最高だろう。
窓を開け放して、外気を入れる。
すると、くしゃみが出た。
くしゃみは、肛門を直撃する。口と肛門で場所は離れているが、くしゃみをすると、肛門が激しく収縮するのだ。肛門が収縮すると、痛む。
しかし、今までの、鈍い痛みがガクーんと脳天につきあげてくるような、そういう痛みではなくなっていた。局所的な、ヒリヒリっという痛みに変わっていた。
それでも十分痛いが、今までの痛さとは天と地ほども違う。
傷がよくなっていることの実感を得た。
痛み止めを飲まない排便も可能かなと思ったが、やはりこわい。
ちょっと迷ったが、結局、痛み止めを飲んだ。
あの痛みはわかっていてもこわい。
朝7時30分。朝食である。
朝食と一緒に薬が運ばれてきた。
今日から点滴がなくなり、飲み薬になる。
点滴がなくなったから、午前中も自由時間になったわけだ。
朝食後はトイレタイムである。
便座に座ってみると、今までよりずっと楽な感じがした。
すわるだけで、何もしていないのだが、今までより楽な感じである。
何が違うのだろう。ふしぎだ。
いきんだが、なかなか出ない。
しかし、イキミ自体は、今までで一番楽だ。
これならいけそうだと思ったが、便は出ない。
出そうな感じはするのだが。
毎日、この一発目が難儀なのだ。
しばらくがんばったが出ないので、肛門から力を抜くと、グアっと声を出したくなる痛みが走った。ここ数日、恒例のことである。
ただ、いままでで一番楽だ。肛門がすぼまる感じがわかったし。
今までだと、何が起こっているのかわからないほど痛かった。
今までだと、そのまま宇宙へ飛び出すんじゃないかと思うくらい加速度の強い痛みがズドーンと肛門から脳天に突き抜けていたのだ。
今日は、そこまではいかなかった。
その後、かなり正常時に近い大きさの便が2本出た。
多少細めだが、まずは、ほっと、ひと安心である。
排便後は、やっぱり、冷や汗をかいていた。
ずいぶんとよくはなっているが、まだまだである。
9時ちょっと前に、血液採取があった。
昨日まではなかったのだが。何を検査するのだろうか。
血液を採っている看護婦さんが「桜が満開ですよ」という。
そうなのか。世間ではサクラが満開なのか。残念である。
「残念です」
「でも、ぎりぎり間に合うんじゃないですか」といって笑う。
間に合えばよいのだが。
「今週末から天気が悪くなるみたいですね」って、看護婦さん。
うーん、週末まで、天気がもってくれるとよいのだが。
医師が現れ、状態をたずねてくれた。
日増しによくなりますよ、と声をかけてくれた。
いつも、ニコニコしながら、おだやかに話しかけてくれる。
これが、このクリニックの一番よいところかもしれない。
午前中に残している仕事は入浴のみである。
9時30に入浴。もう慣れているからラクラクである。
着替えの時の、生理用ナプキンとガーゼを持って行くのも忘れない。
入浴中、傷の部分をさわってみたが、腫れは昨日よりは引いているようだ。
そのかわり、腫れている面積が広がったような気もする。
シャワーの下の壁面に貼ってある鏡に、自分の肛門を映して傷を観察してみようかと思ったが、やめた。
医療の知識もない自分が傷を見てもショックを受けるだけだろう。
仮に、何かに気づいたとしても、自力では何もできない。
医師の”順調”という言葉を信じることにしよう。
信頼できる人に、まかせるしかないのだ。
11時頃、部屋の掃除に看護婦さんが来てくれる。
こうして、毎日、部屋とトイレの掃除をしてくれる。
庭の草取りから、部屋の掃除、トイレの掃除、配膳まで、何から何までやるわけで、大変だなあと思った。
鏡を見ると、朝そったばかりのヒゲが、もう生えていた。
もう一度電動カミソリでそる。
栄養がよいという証拠なのだろうか。
昼前に診察があり、どうやら、土曜日には退院できそうということになった。
10日かかったわけだ。
先が見えてきたのはうれしい。
昼食も、いつも通りすんだ。同じことの繰り返しである。
そりゃあ、どこにいたって、結局は、その場所での同じことの繰り返しである。
でも、いったん、慣れてしまうと、ここの場所での同じことの繰り返しに安心してしまい、別の場所に移動するのがこわくなってくる。
そう、ぼくは、なんでもこわいのだ。他人からは、よく、おくびょうと言われることがある。
こんなことで、復帰できるのだろうか。いざというとき、逃げ出したくなったらどうしよう。
いや、退院までに10日かかったということが、すでに、”逃げ”なのかもしれない。
じっさい、8日で退院している人もいるのだから。それに比べれば、”逃げ”ている。
”逃げ”ずに攻めるのであれば、10日で退院といわれたら、9日にしてくれ、8日にしてくれ、今すぐ退院させてくれ、と医師に直訴して一日でも早く退院し、多少はつらくても、無理をおして復帰するのが正しい行き方なのではないか。
そんな気がするが、マイペースを大切にする自分とは、無縁の世界であることも事実だ。
午後は、検温が1回あっただけで、まったくのフリーだった。
のんびり。しかし、ここは病院。
完全な回復までもう少し。でも、もてあますほどの時間。
もし、ここが、沖縄のリゾートホテルだったら、別のことを考えているだろうか。
夕食が終わり、夜もふけた。
ヤンキースの松井が日本で行われた大リーグ開幕戦シリーズでホームランを打った。
世の中にはすごい人がいるものである。
寝る前、傷の部分がひりひりとやけに痛むので痛み止めを飲んだ。
もう、9個目だ。
15個もらったときは、こんなにも使うのだろうかと疑問に思ったのに・・・
生理用ナプキンやガーゼも相変わらず血まみれである。
まだまだ、回復したとは言い難いが、浦島太郎の一歩手前の状態でもある、入院7日目の夜が終わった。
2004年3月31日(水)
手術後7日目:入院8日目
今日は4月1日の木曜日、手術後7日目、入院してからは8日目である。
3月の末には家に帰れると思っていたが、けっきょく4月1日になってしまった。
きのうは、7日を越えた入院期間に罪悪感を感じてしまったが、ウチの母親は若い頃、痔で3週間入院したと言っていたのを思い出した。いくら昔とはいえ、3週間というと、かなりの長期間入院である。
ウチは、痔の入院期間が長引く家系なのだろうか。
今日は、長男が就職して初出勤の日である。
昨日、出勤時間に起床して会社まで車で行く予行練習をしたようだ。
その足で、この病院まで来てくれた。
早起きが不要な学生生活を送っていたので、毎日早起きできるかどうかが一番心配だ。
うまくいってくれるとよいのだが。願うしかない。
朝は5時15分頃に起きた。
室内で、軽く運動する。
ぼくの場合、とくに、腹筋がよわい。
腹筋が弱いと、便通にも影響してくるだろう。
腹筋の運動をするが、腹筋の弱さを痛感するだけで終わった。
窓を開け放して、外気を入れる。今日もよい天気のようだ。
建物の間から、空高く、うっすらと雲が見える。
すばらしい天気のようだ。
ガーゼを取り替える。いまだに、血まみれである。
寝ていると、ガーゼのことなど気にせずに動くので、血が付きやすいのだろうと思うが、それにしても、もう手術後7日もたっているのに、いまだに血まみれである。
血まみれといっても、鮮血ではなく、うっすらとピンクに染まるという程度であるが。
朝起きて痛み止めを飲むのが日課になってしまった。
けさも、おしりに鈍い痛みを感じるので、痛み止めを飲む。
くせになるのもよくないだろうなと思いつつ飲む。
朝食後、トイレへ。
最初の一本目が出るのはやはり痛いが、それでも、昨日までとはちがって、劇的によくなっていることがわかる。
便の形もよく、出血もほとんどなかった。
便器が赤く染まることはなく、紙に血が点になってついたくらいである。
肛門が収縮するときの痛みも楽になった。
今までのダイナマイトの爆発みたいなズドーンという痛みではなく、ズンというくらいの痛みで、チリチリっという感じの痛みもまざって、ハーモニーを形成していた。
痛みの質も楽になったが、痛みの程度も楽になっている。
今までは、低音バリバリのベースを大音響で弾いた感じだが、今日は、低音の軽めなベースを中くらいの音で弾いた感じ。痛いことは痛いし、うめき声を出したくなることは変わりないが、それでも、ずーっと楽だ。
これなら、明日にでも退院できそうだ。
以前は、痔核のため、排便後も残便感があるので、ついつい便器に長い時間座っていた。
排便後には、飛び出した脱肛を押し戻していたので、トイレタイムは、けっこう時間がかかった。
今は、痛みをこらえる時間が多少必要だが、トータルなトイレタイムはぐっと少なくなっているはずだ。
なにより、残便感がないのがうれしい。
痔核があると、便意のセンサーとなる部分を刺激するので、排便しても、残便感があるのだ。だから、いつまでもトイレから出られなくなってしまう。
いたくもかゆくもないが、あの残便感は、けっこうつらかった。
9時10分頃に入浴。
もう慣れたものである。
9時50分頃、今日も、ひとり退院した。退院は午前中にするようだ。
入院はあわただしいのだが、退院はあっけなく終わるようだ。
昼食は、いつものとおり12時。
今日は、天ぷらがたくさん入っていた。
持ってきてもらった納豆をごはんにかけて食べた。
ぼくは、納豆が大好物なので、今までの納豆なしのご飯には物足りなさを感じていた。
今日は、手術はないとのことだった。
これから3時の診察まで長い時間だ。
昼食後、便意を催して、2度目の排便となった。
便の形といい、太さといい、かなりよくなっている。
便が出たあと、しばらく立てないほど痛かった。ズーンと重くてにぶい痛みが続いた。
でも、脳天突き上げの加速度大の痛みではない。やりすごそうと思えば、やりすごせる痛みだ。
朝は痛み止めが効いていたので楽だったが、今度のは突発的だから痛み止めは飲んでいない。それでも、なんとか、がまんできる痛みかなと思った。
冷や汗の量も少なそうだ。
今度も出血はなし。
確実によくなっているようだ。うれしい。
3時ちょっと前に診察。
傷が乾いてきているという。右の奥がまだかなということだった。
経過もよいので、4月3日の退院ということで決定。
退院が長引いたのは、昨日までの、ぼくが診察時に訴える不安を考慮に入れていたのだろう。
自信が出てきたようですね、と言われた。
今となってみると、自信がポイントだったのだ。
自信もなく、退院させてくれと言ってもダメなのだろうなぁ、きっと。
夕食は、いつも通り、多め。給食センターの調理である。
一日中病室で静かにしているので、腹が減らないはずなのだが、食欲はちゃんとある。
焼いたシャケとか、野菜の和え物とかうまいのだが、冷凍物らしいハンバーグは正直言うと、パスしたかった。
このハンバーグがけっこう出されるのは、なぜだろう。安いのだろうか。
夕食後、また、便意をもよおしてトイレにはいるが、出なかった。
便器内を見ると、せんべいの、カキの種くらいの、固まりが落ちていたが、血のかたまりなのか、便なのか、わからなかった。
食事のたびに、トイレにこもるのもなんか大変である。
夕食後、病院の書棚にあった、「文藝春秋」1998年10月号の”僕らの過去は「大痔主」”という10ページにわたる記事を読んだ。東京女子大学名誉教授の猿谷要氏、舞台美術家でエッセイストの妹尾河童氏、女優の馬渕晴子氏、56代横綱若乃花の間垣勝晴氏の4氏による対談だ。これは、読むべき記事である。
対談を読んで、大笑い。対談の文中にも”(笑)”というかっこ書きが頻出する。実に楽しそうな対談なのだ。
痔って、思い切って手術してなおしてしまえば、こんなにも笑える病気なのかと思った。それまでのガマンも笑えるが。
対談にもあるように、胃ガンや糖尿病では笑えないが、痔だと笑えてしまう。
対談で妹尾河童氏によると、ナポレオンも痔のせいでワーテルローの戦いで馬に乗れなかったとか、ルイ14世も痔だったとか、芭蕉は自分の痔を俳句にしたとか、夏目漱石も痔だったとか。有名人も多数痔だったわけだ。ふだんの激務に痔、大変だったろうなあ。
夜9時30に消灯後、本を読んだりテレビを見てから寝た。
2004年4月1日(木)
手術後に飲んでいる薬
インターネットを検索して、手術後に飲んでいる薬を検索してまとめてみた。
ぼくは、薬の専門家でも、医療の専門家でもないので、以下の記述がぜったいに正しいとは言えないので注意してください。大幅に間違っていることはないとは思いますが。
ヘモナーゼ:
手術後6日目から、点滴の代わりに毎食後服用。10日分、30錠を処方された。
痔の痛みやカユミ、腫れや出血などをやわらげる薬。
痔の腫れをひき、痔の出血や疼痛などの症状を和らげる、消炎酵素薬の“ブロメライン”、末梢の血流をよくして、うっ血状態を改善する“酢酸トコフェロール(ビタミンE)”の2種類の成分からなっている。
副作用:まずないが、発疹が出る場合もある。
ロキフラン:
消炎鎮痛薬。手術が終わったときに、痛いときに飲むようにとのことで、15錠処方。
成分はロキソブロフェンナトリウム。
腫れをとり,痛みをやわらげる作用がある。とくに痛みに対してよく効く。
副作用:発疹,かゆみ,腹痛,胃の不快感,まれに間質性肺炎などの過敏症状,肝臓,腎臓障害(ネフローゼ症候群を含む),血液障害。消化管出血もあるので,胃・十二指腸潰瘍の人やその病歴のある場合は,症状を悪化させる。劇症肝炎の報告が近年あり,肝機能が悪い人では慎重を要する。
使い方と注意:なるべく胃を荒らさないよう,食後に服用。
トロキシン:
上記、ロキフランとセットで飲むように指示された。15錠処方。
成分はトロキシピド。
胃潰瘍の薬。胃粘膜病変(びらん,出血,発赤,浮腫)を改善する。急性胃炎,慢性胃炎の急性増悪期に適用する。
副作用:副作用はあまりないようだが、便秘、腹部膨満感、胸やけ、吐き気、発疹、頭重感などがあるようだ。
手術後8日目:入院9日目
今日は4月2日の金曜日、手術後8日目、入院してからは9日目である。
6時起床。
朝雨が降ったらしく、庭がぬれていたが、起きたときは雨は上がっていた。
気温もすずしいくらいの気温で、窓を開けるとさわやかな空気が室内に流れてきた。
前夜は、痛みのため、よく眠れなかった。
明日が退院日と決まると、すっかり安心してしまい、前夜は11時30まで本を読んだりテレビを見たりして過ごした。これが悪かったかどうかはわからないが、夜中に、傷がかなりいたんだ。
ヒリヒリ、チクチク、ズキズキ、ジワー。
チクチクする痛みと、ずきずきする痛み、それに、焼けるような、表面が焦がされているような痛みがまざっていた。最近は、痛みがハーモニーをなしている。
がまんはしたのだが、なにせ夜中である。
寝ているウチにまた痛くなって、目が覚めてしまう。
これが2,3度あった。
3時頃目がさめたとき、廊下を誰かが歩いていたが、あんな時間に誰が歩いているのだろうか。ひょっとして、おばけか。
仮に、何かあったとしても、おしりが痛くて、俊敏な対応はできないだろう。
ちょっとこわかった。
痛くてしかたがないので、痛み止めを飲んだ。なるべく飲まないようにしたかったのだが。
この痛み止めは胃薬とセットで飲むように言われたが、できれば、食後がよいらしい。
こんな真夜中に飲んで、あまり、よくないだろうなと思いつつ、痛みってものは真夜中に痛くなるもんだよなあとも思う。
こんなに痛いんじゃ、これからも、夜がこわくなるなあと思った。
やはり、急いで退院しなくてよかった。
ここが病院じゃなくて自宅だったら、かなり焦ったろう。
病院だったら、いざというときは、看護婦や医師を呼べばいいのだ。そういう場所なのだから。
7時30分。朝食。パン食である。
例によって、冷凍物らしきハンバーグのかけらが入っている。
野菜は、給食センターへの外注の食事にしては、まあまあ、多い方だが、もっと多くてもよさそうだと思う。
朝食後、排便。
これが、習慣なので、条件反射的に出る。
もう9日目になると、さすがに、あまり痛くない。
前夜に飲んだ痛み止めも効いているのだろう。
しかし、便が顔を出すまでがちょっとコツがいる。
いたくならないように、こわごわといきむためだ。
顔を出してしまえば、あとは、自然にズルっと出てくる。
かなり大きめの便が無事排泄された。出血もほとんどない。
ただし、肛門を収縮させるときの痛みはすごくて、今日も、”ずわっ”と声を上げてしまった。
終わりにしたかったのだが、第2波がやってきた。
モンキーバナナみたいな、小さめのやつが何個か出た。
これで終わりにする。2回目以降は肛門の収縮による痛みはほとんどない。
最初の1本目が大変なのである。
格闘すること20分。
ちょっと長い。
痔の本を見ると、トイレは3分以内にしなさいと書いてある。
20分では、肛門がうっ血して、また、再発のおそれがある。
まあ、第2波まであったので、そのせいもあるのだろう。
2で割ると10分だし、排便後、便器内を観察したり、ウォシュレットで肛門を念入りに洗ったり、ゆっくりと拭いているから時間がかかるわけで、ちょっと長めというくらいにおさまっていると考えてよいかもしれない。
肛門を拭くのは、押し拭きといって、肛門をかるく押さえるようにして拭く。前後や左右にこすって拭くことはしない。
押し拭きでも、ペーパーには便の汚れは付かない。以前だと、脱肛を押し戻し、肛門をきれいにするのに、けっこう手間がかかった。便がペーパーに付着してなかなかきれいにならないのである。
それが、何もしなくてもはじめからペーパーに便が付着しないので、これもすばらしいことだ。
以前、痔核があった頃は排便と排便の後始末で1時間もかかることがあった。
排便に1時間もかかるとなると、生活に不便をきたすので大変だった。
9時前に入浴。慣れているから、やるべきことはどんどんやってしまう。
排便後、なるべく早く入浴した方がよいだろうとも思う。
このひとりがやっと入れるほどの小さな浴槽とも、今日でお別れだ。
この浴槽、水道代を節約するのにはいいなあと思う。としをとったら、このほうがよいのではないか。
この病院では、出血している人ばかりだから、一回ごとにお湯を抜いた方がよいに決まっているが、家庭で使う場合も、一回ごとにお湯を抜かないと、お湯が汚れてしまうだろうか。
昼食後、今日も便意。
こうやって、毎食後、便意をもよおしていたのでは大変だ。
痛みは朝に比べると軽かったが、それでもぐっときた。
じっとしていると、体内にこもってしまうような痛み。
ううーっとうめかないと、どっかへ飛んでいかない痛みだ。
午後4時前に診察。
昨夜、傷が痛かったことを話すと、夜、肛門の括約筋がけいれんすると、ズキっという痛みが走ることもあるという。
でも、あの痛みは一晩中続いていた。
ちょっと不安要素ができてしまった。
さいごに、明日の退院時間のことや、生命保険のことをたずねた。
5時頃から、退院の準備をした。
荷物をまとめた。
荷物をまとめているうちになんとなく感傷的な気持ちになってきた。
帰りたくない・・・
ぼくは個室だったから、この9日間、ほとんど医師と、看護婦さんたちと、見舞いに来てくれた家族たちとしかしゃべっていない。
他の患者さんとはほとんどしゃべっていない。
でも、この病院を去るのが悲しいような、そんな気持ちがわいてくる。
退院だ、やったーと、単純に喜べないような気持ちなのだ。
家に帰れば、家族と再会でき、自分の好きなものがたくさんある場所に戻れるのに。
今までぼくは、入院したことは一度もない。
たとえ、痔とはいえ、今から思うと、かなり大変だった。
初めての入院だったからというのもあるが、痔とはいえ、手術して入院する以上、やっぱり大変なのだ。
手術はほとんどいたくなかったが、それでも、精神的な負担はかなりのものだった。
手術後も、不安の連続だった。
最初の2日間ぐらいは、麻酔のためと、痛みのためと、不安のために、ほとんど何もできない状態だった。
体も重かったが、精神面も重かった。
後半は排便との戦いだった。
死にはしないとは思ったものの、あの痛みは、一瞬とはいえ、死ぬよりつらいと思ったことさえある。
寝ている間も痛みとの戦いになった夜があった。
あれもつらかった。
傷の部部分だけでなく、精神的な面でも、とてもつからかったが、それが、今は、じゅうぶん回復した。
思い返すと、すごく、いい体験になった。
手術直後、移動するストレッチャーの上にころがされて、ぼくは、「初めての入院が、痔なんてなさけない」という意味の言葉を看護婦さんに言った。看護婦さんは「痔でよかったじゃないですか」と返した。
その言葉の意味が、今、実感できた。
死ぬような病気ではないのに、手術の大変さ、その後の療養の大変さ、猛烈な痛み、回復への戦い、日々回復することの充実感、医師や看護婦さんの仕事ぶりのすばらしさ、そういったものを感じることができたのである。
大部屋での入院だったら、これに、新たな人間関係の芽生えっていうのが加わるのだろうなと思ったが、一人ですごすのも、自分をみつめなおすきっかけになってよかったと思うのだ。
夕食が運ばれてきて、これで、ここでの夕食も最後である。
でも、再発でもしたら、また、これを食べることになるんだななどと思いながら、食べた。
夕食後、またもトイレへ。
便意はあるのだが、出なかった。
ここ2日間、3食全部トイレに行っている。
これもつらいなあ。
食事後は、プロ野球のセ・リーグ開幕戦、巨人-阪神戦を見る。
どうやら、巨人の敗色が濃厚だ。
テレビのプリペイドカードを使い切るために、適当にチャンネルをまわす。
そうしているうちに眠くなって、寝てしまった。
これで、入院最終日も終わった。
2004年4月2日(金)
手術後9日目:入院10日目
今日は4月3日の土曜日、手術後9日目、入院してからは10日目である。
入院した日は、まだ、肌寒い感じがあった。
入院中に、空気は春の空気になった。
暑いほどではないが、あたたかくなった。
年度替わりという忙しい時期にもかかわらず、入院期間をこの時期にしたのは、気候のことも理由だ。
5時ちょっと過ぎに起床。
昨日、無理にテレビのプリペイドカードを使い切ってしまって、今日は見ることができない。1時間分くらい残しておけばよかったかな。
病棟の書棚から借りていた雑誌とマンガを返す。この「ナニワ金融道」という青木雄二氏のマンガには入院期間中のひまな時間を過ごすのに大変お世話になった。
本好きのぼくにとっては、もっと、本が置いてあるとうれしかったとも思う。
今日もすばらしい晴天だ。
週間予報ではくもりだったようだが。
窓を開けると、すがすがしい空気がさーっと室内に入ってきた。
朝食をとり、さっさと入浴。もう、慣れたものである。
朝食後は、おきまりの排便。
この、きちんきちんときまったパターンの生活も今日で終わりである。
便座に座ると、昨夜から出にくかった便がゾローっと出る。こいつは長い。
出終わったあと、肛門をすぼめると、ぐわーっと声を上げたくなるほどの痛みがつきあげてくる。
で、しばらく、ひざをかかえて、痛みが治まるまで便座の上でうずくまる。
9時過ぎに診察があり、今後の生活の注意を受けた。
2週間は絶対禁酒とのこと。
ちょっと甘く見ていた。缶ビール1本くらいならよいのではないかと思っていたのだ。
だめらしい。
アルコールで血のめぐりがよくなると出血しやすくなるのだ。
4月は、いろいろ酒の席があるが、ウーロン茶でにごすなんてのは、ぼくにはできない。いっそ、出ない方がいいな、と思った。
出たら、飲んでしまうのはわかりきっているから。
10時前に、会計を済ませた。個室なので13万5000円ほどかかった。
入院した日は、まだ、寒くて上着と靴下が手放せなかった。
退院する今日は、上着は不要だった。
空気がすがすがしかった。
会計も済み、荷物を車に載せた。
外に出て、病院全体の写真をデジカメで撮った。
昨夜、病室の写真も撮っておいた。
結局、昨夜の感傷的な気持ちなどなかったかのように、なんとなくわさわさしているうちに、退院の手続きも終わった。
ついに、帰宅である。
家に着いたら、自分が家で何を着ていたのか、自分はどのコップを使っていたのか、箸はどれだったか、バッグはどこに置いたのか。そういった日常的なことを、すっかり忘れていた(多少誇張して書いたが)。
まだ50にならないというのに、とんでもないボケである。
昼食は家でとったが、病院のいたれりつくせりの食事に比べて、質素というか、ずいぶんと簡素なものだと思った。まあ、しかたない。
午後、近所の喫茶店まで歩いていき、コーヒーを飲んだ。
喫茶店のいすに座るときそーっと座り、いすからたちあがるときそーっと立ち上がったのだが、気づかれた様子はない。
これなら、だいじょうぶだ(なにが?)。
夕方、入浴。
入浴後、もよおしてきたのでトイレにはいると、ずいぶんと出血した。
ここ数日はトイレでの出血はほとんどなかったので、おどろいた。
便器は真っ赤。
ショックである。おもわず、ヒイーヒイーと言ってしまった。
トイレから出たときも、息があらくなっていた。
もういちど風呂に入り直し、ガーゼを換えた。
夕食後、またもよおしてきた。
今度も、けっこう出血した。
環境が変わったので、おなかがゆるくなったらしい。
下痢とまではいかないが、かなり、ゆるい便が出た。
ゆるい便もけっこうつらい。
またもや、トイレで、はあはあ、してしまった。
毎回トイレでハァハァする・・・・
まだまだ、気を抜けない日々が続くな、と思った次第である。
その後、出血は止まったようで、まあ、ひと安心である。
2004年4月3日(土)
手術後10日目:退院後2日目
昨日退院して、今日は2日目である。
やはり、環境の違いのためか、入院中はほぼ理想的だった排便が、乱れてきた。
まず、昨夜は、下痢ではないものの、かなりおなかがゆるくなった。
今日は、3度の食事ごとにトイレに座ったが、出なかった。
しかし、毎食後、便意があるというのも考えものである。
痔に良くないだろう。
病院にいるときは、なにかアクシデントがあっても、助けを呼べば何とかなるという安心感があった。
しかし、自宅に帰ってくると、そうはいかない。
アクシデントがあっても、対応できない。
だれかに病院まで車でおくってもらうと、処置までに最低でも1時間はかかるだろう。
救急車を呼んでもらうというのも、大げさすぎて、気が引けてしまう。
そういう暗黙のプレッシャーが、思い切って排便することができない原因のひとつになっているのかもしれない。
朝から晩まで排便と肛門のことを考えている。
こんな人が、近くにいたら、なんかやだなぁと思うのだが、実は、今の自分がそうである。
2004年4月4日(日)
手術後11日目:退院後3日目
今日は退院後3日目である。
昨日は雨で、花見にはあいにくな日だったが、今日は良い天気のようだ。
仕事の方は、今日と明日、なんとかなりそうということなので、軟弱にも、静養することにした。
退院後、即、激務に戻る人が多い中で、自分でも、ノンキだとは思うが、2日間を静養にあてられるのはありがたい。
2日間あれば、かなりよくなるはずだ。
5時30頃起床。
朝食後、排便。
今日は、ちゃんと出た。
昨日、3度がんばっても出なかったのに、今日はすぐに出た。
やはり、朝のチャンスをのがさないことがコツのようだ。
肛門をすぼめるときの痛さは、かなりやわらいでいるが、それでもかなりのものである。
”ううーっ”とうめくのはもちろん、便座に座ったまま、うずくまるような感じである。痛みの波が去るのを待つしか対策はないのだ。
ところで、昨日図書館で借りてきた本「出すときこまる出なくてこまる」(山口時子著:法研)によると、温水便座で、長時間お湯をおしりに当てていると、肛門を保護している膜がとれてしまって、よくないそうだ。
本などを読むと、なんでもかんでも、”よくない、よくない”って言われてしまうので、残念である。
今まで、生理用ナプキンとガーゼを使ってきたが、生理用ナプキンだけの方が快適だということに気づいた。
ガーゼを生理用ナプキンとおしりの間にはさむと、ずれてくる。ずれてくるとき、傷とこすれていたい。
ガーゼをとると、直接出血が生理用ナプキンについてしまうのだが、出血の量も減っているし、生理用ナプキンは少々の血液ぐらいはへちゃららしいことがわかった。
肌にもやさしいようだし。
しばらくの間座っていて、立つと、おしりに張り付くような感じがあるが、それはきっと、傷の表面にうっすらと血がついているからなのだろう。
2004年4月5日(月)
手術後12日目:退院後4日目
5時起床。
今日は退院後4日目である。
静養も今日が最後になるはずだ。
明日からは完全復帰。
でも、ひとつ気になることがある。
傷のまわりがドーナツ状に固くなっているのだ。
これが腫れだとしたら、かなり、腫れている状態なのではないか。
今日が退院後の初めての外来での診察なので、医師に確認しておこうと思う。
朝の排便は、今までで一番楽だった。
出血もほとんどなく、痛みもずいぶんうすらいだ。
まだまだ痛みはあるが、今までに比べると大きな差である。
9時に病院に出かけ、外来診察を受けた。退院後、初の外来診察だ。
実は、昨日から気になっていたことがあった。
風呂に入ったとき、傷の周りを指でそっとさわってみたところ、傷の周りの皮膚の深層に、ドーナツ状の固い部分が見つかったのだ。かなり腫れているようだ。
このことが気になって、”また入院になったらどうしよう”とか”傷を切開する必要があるだろうか”とか、急に弱気になって、昨日の夜から今日の朝にかけて、落ち込んでいた。
医師にそのことを話し、診てもらった。
結局は、化膿もしていないし、傷もかわいてきているし、良好ということだった。
腫れも、そのうちひくでしょう、ということだ。
医師のそのことばを聞くと、急に気が楽になった。
かんたんなものである。
その後、昼にも排便があったが、今までと比べて、実にスムーズだった。
ほんとうに、自信が出てきた。
2004年4月6日(火)
手術後13日目:退院後5日目
4時45起床。
今日は退院後5日目である。
今日からは仕事に完全復帰の予定だ。
朝の排便は、ますますスムーズになった。
出血はわずか。
痛みも、ゼロでないが、かといって、がまんするほどの強さでもない。
肛門を締めるときも、体全体にひびくことはなくなった。
数日前とは、大きな差である。
立ち上がるときは、まだ、わずかに、おそるおそる立ち上がる感じが残る状態ではあるが、ほとんどいたくない。
急な動きは、肛門を痛めそうだが、この程度動けるなら、まったく大丈夫である。
2週間経過すれば、ほぼ、自由な日常生活にもどれるとみて良いようだ。
夜帰宅して、下着を調べたら、生理用ナプキンにけっこう出血のあとがあった。
当然だが、自宅で静養しているよりは無理がいっているようだ。
生理用ナプキンは、まだまだ手放せない。
2004年4月7日(水)
手術後14日目:退院後6日目
5時起床。
朝の排便は、ほとんどふつうの状態になった。
こんなふうによくなっていくのかという、いまさらながらの実感だ。
よくなっていくことが実感できる毎日である。
ほとんど痛みもない。ゼロではないが、ゼロに近い。
痛みがなくてスムーズがあたりまえであるが、痛みにのたうちまわっていたころと比べると、あまりに快適なので、”ほんとうは、こんなにも軽かったんだぁ”と思った。
排便での出血はわずか。
生理用ナプキンには少々血が付着している。傷の表面からは、出血しているということだろう。
完全に出血が止まって、生理用ナプキンがいらなくなるまでは、まだ時間がかかるのだろう。
2004年4月8日(木)
これで、ひとまず、体験記は終わる
再発の体験記は書きたくないものである。

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